ビジネスの悩みは常に「人間」である。

ビジネスをする上で「お客さん」は絶対的に必要。お客さんがいないと商売として成り立たない。場合によっては助成金などで別ルートからお金が入ってくることはあるかもしれなけれど。基本はやっぱり、お客さんからお金をいただく、ことでビジネスは成り立つ。

「お客さん」は人間である。当たり前だけど。
犬の餌のお客さんも犬ではなく飼い主の人間だ。

お客さんという人間に向けてメッセージを送り、心を動かし、お金を払ってもらわないといけない。そのために様々な工夫が必要になる。この一言でお客さんの心はどう動くのかということを考えなければならない。どこまでも探求しなければならないレベルだ。

で、ビジネスにおいてもう一方、サービスを提供する側、スタッフ、従業員も同じく「人間」である。

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今現在、私はある問題抱えている。
外注のスタッフの動きが悪い。メッセージを送っても返事こない。スケジュールを決めても結果が出ない。そのスケジュールも、そのスタッフに「この日までにできます」と本人決めさせたにも関わらずだ。なので催促のメッセージを送るのだが返事が来ない。どうしたものか。

スケジュールの遅れと返事が来ないことにイライライしているときに、スタッフも人間であるということをふと思い出す。スケジュールを守らない、連絡をしない、というのは仕事人としては失格と言っても構わない。仕事というのは、ひとりの人間で完結するものではなく、チームによって動く、ひとりの時間が止まれば結局は全員の時間が止まってしまうのだ。これはビジネスとして非常によろしくない。

特別な秀でた才能があって、その人にしか成し得ない芸術的な仕事であれば、スケジュールも連絡も二の次でもいいだろう。しかし、そんな人はほんの一握りしかいない。99.9%のスタッフは全体の一部分を担うのだ。一部だから不要ではなく、一部だから絶対に必要な存在だ。たったひとりの時間が止まってはいけないのである。(特に数人でやっていると深刻)

さて、話は戻るがスタッフも人間である。お客さんと同じように人間である。そう考えると頭ごなしに「ちゃんとやれ!」というのはどうかと考えるようになった。

昔々、私がサラリーマン時代の出来事だ。他部署上司と食事をしたとき「うちの部下は無能で使えない奴らばかりだ」と愚痴っていた。その気持は分からなくはない。私自身も数人の部下がいて「もうちょい頑張れよ」と思ったことは多々あったからだ。しかし、私は部下のことを「使えない」とか「無能だ」と蔑んだことはない。なぜなら、部下の能力を発揮させることが上司の仕事だと思っていたからだ。

あの仕事ができなくても、この仕事はできる。というのは誰しもある。言葉一つにしてもやる気を出す言葉、やる気を無くす言葉がある。それらを駆使しながら、適材適所、的確な指示とアドバイスで「使えるようにする」べきだ。

「部下がダメだ」という上司は「私はバカです」と言っているのと同じだ。優秀な部下はどんな上司の下でも優勝な結果を残す。放置しておいてもいい存在だ。そのままでは使えない部下を使えるようにするのが上司の役割ではないか。上司の仕事は監視をすることではなく、育てることなのだ。

今の外注スタッフが動かないことにイライラしているときに上記のサラリーマン時代のことを思い出して、自分自身に少しブレーキが効いた。責めるのではなく育てるのだという気持ちに少し切り替える。

だが、外注と従業員とでは条件が違う点がある。外注するというのは「任せた」「任せて」という関係性だ。教育というプロセスがない。だから外注費は高くなる。それでも確実な結果が偉得れるからお願いしているわけだ。

そんなことを考えていると、今の人を責めるというよりも、新たにできる人を探す、という方が正解だと思う(あくまで外注として)。もし、その人が成長してちゃんとスケジュールを守り、連絡を取れるようになったら、また仕事を頼むことにしよう。それまでは停止だ。かなりイイ条件でお願いしていたんだけどね。仕方がない。

ということでクラウドワークの募集サイトでの募集原稿を作っているところ。この原稿作りにも「相手は人間である」ことを意識しながら、書いている。心を込めて書いていこう。こちらの思いが伝わるように。

そして今の外注スタッフの成長を願おう。