子供の運動会に参加して思ったこと3つ

小学5年生にもなると身体的な能力も上がってくる。
運動会もスピードやキレも良くなってきて見てて微笑ましい。
昨日は子供の運動会に参加してきたのだが思ったこと3つ書こう。
 
昔から自分が小学生で参加者だった時から感じていたことだけど…。
かけっこのゴール、演舞の真正面。つまり「特等席」と言える部分が、なぜ「関係者席」「来賓席」なんだろうと…。
運動会は子供が主役で、その主役を一番楽しみにしているは保護者であろう。
その最高の姿が見える場所に「救護所」「放送担当」など校長など職員がいて、その横に「来賓」と言われる他校からの先生だったり、市議会区議会委員の人だったりする。
どっかの隅っこでいいだろと思ってしまう。
 
なんだか昔ながらの「お前たち庶民は我々の慈悲で生きていけるのだ。感謝しろ」的なことを思ってしまうのだが、考えすぎだろうか。
 
もっと前向きに「少ない場所を保護者で取り合わないように」とか考えればいいのかもしれないが。本当に謎だ。
 
 
2つめ、DQNネーム(通称キラキラネーム)を付ける親がいるのだから、そういう親も運動会に参加する。何人か「あーぁ」という風な大人を見かけては眉をひそめたくなる。
 
一人目、Tシャツの背中にヌードイラストがデカデカと書かれている人。もうちょっと場を考えろ。
二人目、進入禁止のロープを乗り越えてトラック内で撮影する人。我が子かわいいは分かるが自己中すぎるだろ。
三人目、身長の半分ぐらいある脚立を持込、一番前に陣取って撮影する大人。ただ単に迷惑。
四人目、ひたすら愚痴をこぼしている大人。「見ない」「負けてる」「だらしない」「先生が悪い」「段取り悪い」などなど。こっちはビデオ撮影中だ。ネガティブが記録に残るじゃないか。
こういう人は数人いた。

思ったこと3つめ。
子供が100mかけっこで見事1位を取った。やったね。
ということでブリブリに褒めたのだが…。
毎度のことながら元嫁家族は駄目だしを連発する。
それは趣味か?駄目だしが好きなのか。
 
曰く「ゴール前で力抜いているじゃないか。なんで走りきらないんだ」「1位でゴールする時は両手を揚げて意気揚々とゴールするべきだ」「なんでリレーの選手に選ばれなかったんだ」
もう良いから黙れ。
 
しょうがないので無条件に褒め称えておいた。
もう諦めているけどね。その分、私の方で「お前は最高だ」「お前はラッキーボーイだ」を言い続けている。
どこかに心の拠り所があれば人間耐えられる。
 
一応、元嫁&元嫁家族は「悪人」ではない。育つ環境として特別に悪いわけではない。問題は「常に自分を基準にしている」「相手がどう感じるか考えない」という点になる。
大人と子供では視線高さも違えば、知識も経験も違う。やっていることも違う。大人はかけっこしない。自分の時代を忘れている。もはや記憶が飛び去り、自分に都合良く書き換えている。
そんな都合のいい記憶を元に「わしの時代はこうだった」と言われても迷惑なだけだ。
子供は判断基準がないゆえに、言われたことをそのまま信じるしか無い。それ故の「お前はダメな子だ」と言われ続けたら、そうなる。そうさせている。
 
一緒に住んでいるじゃないから、もうある意味しょうがない。
この部分は諦めつつ、月一回会う度に「お前は凄い」と言いつつ、自分で考え、決断することを伝えている。
その御蔭でだんだんと駄目だしに対してダメ出し返しをできるようになってきたみたいだ。
いずれは反抗期がやってくるだろう(元嫁&元嫁家族に対して)。それは自業自得だ。反抗期とは「自分で考え、自分で決断する」ための通過点であり、考えること、決断することを抑圧された子供ほど激しい反抗期を迎えることになるのだから。
  
 
運動会の感想を書くだけだったが、結構長くなった。


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