親孝行で思うこと

50才になった私には80才の父と72才の母がいる。嬉しいことに二人ともに元気でいる。
父は耳が遠くなり、少々勘違いすることもあるけど、日常生活には支障がない。
母は病気もしたもののお茶の先生をこなすほどにアクティブな日々を過ごしている。

昔から「親孝行したいときには親はなし」なんてことが言われたりする。
では改まって親孝行とは何か?と考えてみると結構難しかったりする。

孝行をネットで調べてみると「子が親をうやまい、親につくすこと。親孝行」とある。
敬い、尽くすことなのか。なるほどなー。
敬うことは離れていてもできることだけど、尽くすのはそばにいないとできないね。

では「親にとって幸せとは何か?」を考えてみると、親孝行とは必ずしもイコールではないような気がする。それは私自身が子供ができて親になったから感じることなんだけど、親にとって幸せと感じるのは「子供が幸せ」という状態を感じたときと思うのだ。

ケラケラと笑う姿だったり、運動会で1位を取ってご満悦だったり、誕生日にプレゼント貰って興奮していたり、そんな幸せそうな姿を見ることで自分もまた親として幸せを感じる。

そう考えると、老いた父と母の幸せもまた、子供である私が幸せであることが幸せだと思うのだ。

facebookで仕事のこと、遊びのこと、食事のことなどを投稿したりするんだけど、実はこれ全てが私の両親に向けての「オイラ幸せですよ」というメッセージだったりする。ときどき愚痴も含まれているけど、それも含めて「今の私」を伝えている。

昔は「知らせがないのは元気な証拠」なんて言って、音信不通であること=悪い知らせが来ない=元気でいる。という論法でで心配する気持ちを振り払っていたのだと思う。

ありがたいことにインターネットが日常に入るこむ時代になって、情報を送ることのハードルがものすごく下がった、テレビ電話だってFacetimeやLine電話で無料でできる。すごい時代だ。

だからこそ「今、幸せですよ」を頻繁に伝えるのだ。だけど、それだけじゃなくてやっぱり「会いたい」という気持ちもあるだろうから、最近は定期的に帰省することにしている。
きっかけは母の病気だったんだけど、それから概ね2ヶ月に1度帰省するようになった。一度そういう習慣がついてくると双方でリズムができてくるから無理している感じはしない。

20代の頃はお金がなかったという事情もあって2年に1度しか規制していなかったから、そう考えると12倍も会う時間が増えたと言えるのかもしれない。

一緒にいることで少しでも元気になってくれる、幸せを感じてくれるのならば、続けていこうと思う。もうちょっと回数を増やしたいところだけど、生活と仕事の拠点が東京なのは間違いないので今のペースがいいかなと思うところ。でもやろうと思えば、もっと増やせる。頑張ろうかな。

ということで、親孝行と親が思う幸せについて考えてみた。


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