大人になるというのは、スマホを見るか寝ていること

今日電車に乗っていたときのこと。座席も半分ぐらい埋まる程度の混み具合。座っている席の正面には、お母さんと二人の子どもが座っていた。5歳ぐらいの男の子と、2歳ぐらいの女の子。おとなしく座っている。お母さんはスマホをいじっている。男の子と女の子は終始下を向いているが、時折顔を上げて周囲を見渡す。

私も真似て同じように周囲を見渡してみる。子どもたちとほぼ同じ光景をみたことだろう。私が見たのは「スマホを見ているか、寝ている、大人たち」本当にこの2つのどちらかに集約された。子どもたちはこの光景を見てどのように思うのだろうか?

「大人とはスマホを見ているか、寝ているかのどちらかだ」ではないだろうか?

お母さんもスマホを見ている。そんな風に思っても仕方がないと思う光景だった。小さな子どもたちはスマホを持っていない。だから、周りを見るという行為ぐらいしかやることがない。後はいろんなことに思いを馳せるだけだ

さて、大人たちはスマホで何をしているのだろうか?フリック操作で情報を入力している様子はないから、ニュースを見ているか、SNSを見ているか、音楽を聞いているか、動画を見てるかだろう。つまりはインプットばかりしているということだ。まったくのアウトプットがない。そして、インプットとアウトトップの中間にある「思考」という時間がゼロである

「思考していない」という考えにたどり着いたときに「怖い」と感じてしまった。大人になると考えなくなる。実際、現在の光景を見る限りそうではないか。むしろ、二人の子どもたちのほうがあれこれと考える時間がある

そこで私もスマホを見るのを止めて、子どもたちのように色々と思考を巡らせるということをやってみた。電車の窓から見える流れ行く景色(というか建物たち)を見ながら…。つり革広告に目が止まったけど、この広告を見ている人は居ないんじゃないかと思った。早朝の通勤時間などスマホも触れない状況ならば、つり革広告も見るかもしれない。うーん、なんて限定的なんだ。と考えみたり…

ほんのちょっとの時間だったけど、考える時間が必要だなと思った。これからは意図的に「何もしない」という時間を設けて、考えるということやってみようと思う。あ、そうだ。GTDのスケジュールに組み込んでみよう